電話
電話は苦手じゃない。
だけど、あいつからの電話にはあまり出たくない。
手紙と同じで、回線を通して、こちらの気持ちまで伝わってしまいそうだから……。
「キクコ〜、電話よ〜。」
カンナに呼ばれ、腰を上げる。
電話のところへ行くと、その近くにいたワタルが何か言いたそうな顔でこちらを見てきた。
(ああ、あいつからか。)
受話器を取る。
いつもと変わらない緊張感のない声。
「キクコ、元気じゃったか?」
このまま、何も言わずに切ってやろうか?
あたしが黙っていると、あいつは何度でも呼びかける。
「キクコ?キクコ〜?キク……。」
「うるさい!」
あたしがみっともなく大きな声を出すと、そいつは笑った。
「はっはっは〜、ずいぶんと機嫌が悪そうじゃのう。」
(あんたのせいだよ!!)
あたしは気づかれないように、小さなため息をつく。
「ため息をつくと幸せが逃げるぞ。」
「!?」
「もしかして驚いておるのか?」
「何のことだい?」
嘘だった。
本当は、さっき、体がかすかに揺れ動いた。
ふざけているかと思えば、突然、落ち着き払った声で話し出す。
それも無意識のうちに、だ。
まったく、たちが悪いったらありゃしない!!
「キクコとは長い付き合いじゃからのう。大抵のことは分かるぞ。」
「知った口を聞くんじゃないよ。」
「ほれ。確か3歳の頃じゃったか。おまえが森で迷子になった時に、わしが見つけて――。」
「あんたは昔話をするために、電話をかけてきたのかい!?」
「おお、そうじゃった。先週話した、2年前の学会のことでな……。」
それ以降は仕事の話だ。
一通り互いの意見を交わし合うと、満足したらしいオーキドが言った。
「では、そろそろ……。」
「じゃあね!」
「ふ〜う。乱暴じゃのう。」
思いもよらないことを言われた。
そうだろうか?
(あたしはそんなつもりで言ってない。)
「おまえはいつも電話を切る手前になると、口調が強くなる。」
「気のせいだよ。」
短い沈黙。
「……それもそうじゃな。」
その時、あたしがあいつの目の前にいたら、あいつの苦笑いした顔を見ることになっただろう。
だが、これは電話だ。相手の表情は見えない。
「ともかく、切るなら早く切りなよ。」
「う〜む。」
なぜかオーキドは受話器をなかなか置こうとはしない。
「じれったいねえ。」
そう言いながらも、あたしも受話器を置こうとはしない。
あたしからは電話を切ろうとはしない。
「……。」
オーキドの考えていることなんて知らないけれど、あたしはあたし自身の気持ちを知っている。
この時間が終わらなければいい。
(やだよ。あたし、何考えて……。)
「では、切るぞ。」
「ああ。」
ため息と一緒に返事をした。
「キクコ、ため息はつかない方がいいと――。」
「余計なお世話だよ!!」
ガチャンッ!!
「あっ!」
勢いで受話器を置くどころか、投げつけるようにして電話を切ってしまった。
「…………あ、あたしは悪くないよ。あいつがごちゃごちゃ言うから。」
あたしはあんたに面倒を見てもらわなくたって、ひとりでやっていけるよ。
実際にここまでやってきたじゃないか!
あんたが隣にいなくても!!
電話は嫌いじゃない。
でも、あいつとの電話は嫌いだ。
あいつが電話を切った後、繰り返し流れる機械の音を聞くのが嫌いだ。
だけど……あたしからは電話を切りたくない。
「くっくっくっくっ……。」
その頃、オーキド研究所では、オーキド博士が小刻みに肩を揺らしていた。
その姿を、いぶかしく思った助手のひとりが尋ねる。
「オーキド博士?いかがなさったんですか?」
「いや、なんでもないんじゃよ。本当に、素直じゃないのう。」
今度からは、絶対にわしから電話を切らないようにしよう。
キクコが怒ったり、変に思ったりしてもそうしよう。
「さびしい。」と、
「この時間が終わるのがさびしいのだ。」と
決して口には出さない彼女のために。
「また電話を……いいや、今度は会いに行こうかのう。」