遅刻35分

 

「では、明日、どこどこで待ち合わせじゃな。」

「分かったよ。」

そう返事をしてキクコは電話を切った。

(やれやれ、明日はせっかく何の用事もないと思っていたのにねえ。)

急なオーキドからの電話。

何の事はない。たまに頼まれるポケモンの研究についての話だった。

オーキドと共にやるのはあまり気が進まないが、元研究者としては興味のある話を持ち込まれることが多く、

なんだかんだでほとんどその話を受けるのであった。

(まずは図書館に行って、目ぼしい資料がないかあたろうかねえ。)

キクコは電話近くにあるメモ用紙と鉛筆を手に取り、サラサラと明日の予定を立てていった。

 

次の日になり、キクコは待ち合わせ時刻に間に合うように、余裕を持ってポケモンリーグを出た。

今日は昨日に比べて温かい陽気に包まれている。

だが、吹いている風はまだ少し肌寒く、すっかり咲き並んでいる桜の木を、ふと立ち止まり見ていると

もうちょっと厚着をしてきた方が良かったのではないか思える程だった。

 

難なく待ち合わせ場所にたどり着き、キクコはベンチに腰かけた。

花畑のある公園。

その場所はそう呼ばれていた。

数ある公園の中でもずば抜けて大きな花壇を持つ公園で、

桜の木に囲まれるようにキクコの目の前には早めに咲いたたくさんのチューリップがそよ風に揺れている。

(もう春だねえ。)

キクコはまぶしい太陽に目を細めながら、両手で杖をつき背筋を伸ばしてオーキドを待っている。

丸い大きな時計を見て見れば、待ち合わせの時刻から5分が経っていた。

(ああ、あいつはいつもこうだ。)

昔からオーキドは、ポケモンバトルの腕もポケモンの研究における実力も大変優れていたが、

どうも計画性に欠けるところがある上に、何かに夢中になると周りが見えなくなる性格ゆえ、

呼び出される度に、キクコはこうしてひとり待ちぼうけを食らう場合が多いのだ。

(あいつが時間通りに来たことなんて、数えることしかないよ!)

 

共に研究に明け暮れていた頃は、毎回、オーキドが困ったような笑顔でキクコのところへ駆けてくる度、長々と文句を言っていたものだった。

気が短いキクコの性格は今も変わらなかったが、最近ではいちいち言うのも面倒になり、冷たい視線を投げかけるくらいだ。

 

今日はどれくらい待たされるのだろうかと思い、ふう。と小さなため息をつくキクコ。

「ため息をつくと幸せが逃げるでしゅよ?」

「!?」

その声の主は、花畑から顔を出しているシェイミだった。

「なんでしゅか?日向ぼっこでしゅか?」

「あんた……ヒカリのシェイミだね?」

「よく分かったでしゅね。まだ1回もばーさんとは言って……あっ、これはなしでしゅよ!」

すぐに口を片手で押さえるシェイミ。

キクコはシェイミの口の悪さには慣れたのか、気にする素振りもなく、再び前を見つめた。

「なんでしゅか〜。ひとりでお花見でしゅか〜。さびしいでしゅね。かわいそうでしゅね。」

「うるさいよ、あんた。」

ベラベラと言いたい放題のシェイミに淡々と言い返すキクコ。

「それとも誰かを待っているんでしゅか?」

ピクリ。

かすかに動いたキクコの体。

人間なら気がつかなかったのかもしれないが、敏感なシェイミにはすぐに分かる。

「そうでしゅか、そうでしゅか♪」

その途端、はしゃぎ出したシェイミに、いかにも迷惑そうな顔をしたキクコが言った。

「ところで、あんたはなんでここにいるんだい?」

「お花畑のあるところにシェイミでしゅ!」

やけに誇らしげにそう言うシェイミ。

「ふーん、そうかい。」

「うわあ!可愛げのない反応でしゅ!そんな態度を取っているとこれから来る彼氏に好かれないでしゅよ!!」

ぐっ。

思いもよらない『彼氏』という言葉に、何やら古典的な漫画でよくあるような大きな星がキクコの頭上に落ちた――

ようにシェイミの目には映った。

「誰がそんなのを待っているって言ったんだい!?」

キッとにらみつけるキクコも何のその。

シェイミはくるっと後ろを向くと、歌いながらチューリップの間に入って行った。

「ばーさん、ひとりで待ちぼうけ〜。あの人待って待ちぼうけ〜♪」

「……まったく!!」

シェイミの自由奔放な性格についつい付き合ってしまったため、少々疲れを感じるキクコ。

杖を突き直し、時計に目をやれば、すでに待ち時間から15分も経っているではないか。

(オーキドの奴!)

キクコは心の中で、ほう〜っとため息をついた。

 

一方、全速力で待ち合わせ場所まで走っているオーキド。こういう時にポケモンを持っていないところがうっかりなのである。

(う〜む、また怒っておるじゃろうなあ。)

毎度毎度見事に遅刻できる自分自身に苦笑しつつ、ひとり(見た目は)静かに待っているであろうキクコを思うと胸が痛む。

(わしと違ってキクコは1度も遅れてきた事はないのう……。)

「わっ!?」

突如足もとに現れたポケモンを踏みそうになったオーキド。

とっさに体勢を変えたので衝突は避けられたが、そのせいでずっこけてしまった。

「いたた……はっ!ポケモンは無事か!!?」

「なんでしゅか?びっくりしたでしゅよ!」

目と鼻の先にいるポケモンの状態を確認してみると、そこにはシェイミがいた。

「おまえさんは……ヒカリさんのシェイミじゃな?」

「どうして、ばーさんと同じことを言うんでしゅか?」

「『ばーさんと同じこと』?……そうじゃった!キクコをずいぶんと待たせているんじゃった!!」

そう叫ぶオーキドをシェイミは嫌そうな顔してじっと見ている。

「なんじゃ?」

「『ばーさん』と言われてじーさんに思い出されるなんて、ひどい話でしゅね。レディに対して失礼もいいところでしゅ。」

「そう毎回言っておるのはおまえさんじゃろう?」

オーキドはあきれてそう言ったが、あごをさすりながら

「それもそうかもしれん。」

とも言い足した。

「そんな悠長なことを言っていていいんでしゅか?じゃあ、ミーは一足先にばーさんのひざの上で待っているでしゅ!」

「なんじゃとっ!?ま、待つんじゃ〜!!」

オーキドの切なる叫びを聞き流し、そのまま行ってしまうシェイミなのだった。

 

「ばーさん、ひとりでまちぼうけ〜。何年経っても……待ちくたびれないでしゅか?」

「おや、あんた、また来たのかい?」

シャキッとした態度も相手を見据える視線も先ほどとなんの劣りもなく変わらない。

シェイミはスタッとベンチに上がり、キクコの隣に座った。

「ところで、どれくらい待っているんでしゅか?」

「34分。」

即答するキクコ。

そこにへとへとなオーキドが現れた。

「キクコ……ぜえぜえ……すまん!!」

「…………。」

「はーふうー……。」

オーキドはベンチに腰を下ろそうとしたが、シェイミが動いたので、危うく押しつぶすところであった。

「!!?」

「ミーは隅がいいでしゅ。じーさんは真ん中に座ればいいでしゅよ!」

「一体なんなんじゃ?」

オーキドは首をかしげながらもキクコの隣に座る。

そして、再び謝った。

近い距離で目が合う2人。だがキクコはすぐ目をそらす。

「どうせすぐに行っても無駄だろうから、もう少し待ってやらなくもないよ。」

「ああ、そうしてもらえると助かるのう。」

オーキドは(やはり怒っているのう。)と思いつつ、しばらくキクコの横顔を見ていたが、顔を正面へと戻し色とりどりの花を眺めた。

2人と1匹の目の前に広がる花畑。

はりきり過ぎたシェイミは、眠たそうに目を半分閉じながら言った。

「ああ、春でしゅね〜。」